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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和55年(ネ)114号 判決 1983年1月26日

昭和五五年(ネ)第二七号事件控訴人、

同年(ネ)第一一四号事件附帯被控訴人(以下「控訴人」という)

八家正俊

右訴訟代理人

佐伯千仭

米田泰邦

昭和五五年(ネ)第二七号事件被控訴人、

同年(ネ)第一一四号事件附帯控訴人(以下「被控訴人」という)

今門保

右訴訟代理人

竹田実

塩川吉孝

主文

控訴人の控訴に基づき原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

被控訴人の本件附帯控訴を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は第二七号事件につき主文第一、二、四項と同旨の判決を、第一一四号事件につき主文第三項と同旨の判決を求め、被控訴人は第二七号事件につき「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を、第一一四号事件につき「原判決を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し金二七五万円及び内金二五〇万円に対する昭和四六年六月六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は次のとおり訂正付加するほか原判決事実摘示と同じであるからこれを引用する。

一  原判決三枚目裏六行目の「あること」の次に「、被控訴人が昭和四五年六月一五日控訴人の診断を受けたところ控訴人は一応の問診、視診、触診をした程度で、被控訴人がわざわざ金沢から来た患者であることを知りながら行先も告げず出かけてしまつたため、被控訴人は控訴人方の遠藤医師からX線写真の結果のみを聞いて金沢に帰らねばならなくなつたこと、控訴人は本訴訟前に被控訴人に一〇〇万円を支払つて解決しようとしたのに、その後態度を一変し理由のないことを根拠に本件ガーゼは自分のものでないと争つていること、長期裁判による精神的苦痛、控訴人が兵庫県竜野税務署管内でトップクラスの収入を得ていること」を加え、同裏七行目の「四六〇万円」を「二四〇万円」と訂正する。

二  同三枚目裏八行目の次に行を改め、

「(二) 入院付添費 八万円

昭和四五年六月二四日から同年七月二五日まで三二日間木島病院に入院した際、妻信子が付添つたことによるもので一日当り二五〇〇円の合算額

(三) 入院雑費 二万円

右入院期間中の雑費一日当り六二五円の合算額」

を加える。

三  同三枚目裏九行目から四枚目表一行目までを

「(四) 弁護士費用 二五万円

右(一)ないし(三)の損害金合計額二五〇万円の一割に相当する金額」

と訂正する。

四  同四枚目表三行目の「五四〇万円」から同表七行目の「各」までを「二七五万円及び弁護士費用二五万円を控除した内金二五〇万円に対する訴状送達の日の翌日である昭和四六年六月六日から、」と訂正する。

五  控訴人の主張

鑑定の結果によれば、本件ガーゼには大食細胞や線維芽細胞の存在しか認められず線維化の現象を示していない。ところで、大食細胞は異物が侵入してから二、三日で出現しほぼ一年以内に消失するものであり、線維芽細胞は四、五日後に出現し三、四ケ月ぐらいで細胞成分の乏しい結合組織(線維成分)に変化するものである。したがつて本件ガーゼが控訴人の本件手術の際遺留されたものでないことは明らかである。

六  被控訴人の主張

1  本件ガーゼは遠藤医師の挿入したガーゼとは大きさにおいて異り、また乙第三号証、第五号証のウログラフィンの先端が一致していることから、本件ガーゼは遠藤医師の挿入したガーゼではない。また村医師がドレーン(排液誘導)にガーゼを使用したとしても、本件ガーゼの大きさ及び発見時に二つ折りになつていたことからして、本件ガーゼは村医師が使用挿入したガーゼではない。ほかにガーゼを挿入した者はないから、結局本件ガーゼは控訴人が手術の際止血に用いたガーゼが遺留されたものである。

2  乙第一七ないし第二一号証の各二は、時機に後れて提出した攻撃防禦方法であり、訴訟の完結を遅延させるものであるから、右証拠の申出は却下すべきである。

七  証拠<省略>

理由

一控訴人の職業、被控訴人が控訴人の執刀により本件脊椎固定手術を受けたこと、右手術を受けるに至つた経緯、右手術の内容、その後の右手術創瘢痕部の状態及び治療状況、本件ガーゼが発見された経緯、本件ガーゼの状態などについての原判決の理由説示は次のとおり訂正するほか当裁判所の認定判断と同じであるから、原判決六枚目裏九行目から同一〇枚目裏一〇行目の「ところもある。」までの記載を引用する(ただし、原判決八枚目表末行の「状態が続く」から同八枚目裏一行目までを「状態が続いた。」、同九枚目表八行目の「処置をした」から同九枚目裏一行目までを「処置した。」とそれぞれ訂正する)。

二そこで、本件ガーゼは控訴人が本件手術の際遺留したガーゼであるか否かについて検討する。

1  原審鑑定人上野正吉の鑑定の結果によれば、病理組織学的検査において、本件ガーゼには多数の赤血球が散在し、少教の白血球、線維芽細胞、巨細胞らしきものが認められるが、肉眼的に人体組織片を証明しえず、顕微鏡的にも異物反応として出現する結合組織の一部らしいものを認めることもできず、また明瞭な鉄反応陽性を示すものはないというのである。原審鑑定人井上剛、当審鑑定人羽場喬一の各鑑定の結果もほぼ同様である。

ところで、<証拠>、前掲上野正吉、羽場喬一の各鑑定の結果によると、一般にガーゼが生体内に遺留された場合、滞留一週間にしてガーゼ内に線維芽細胞の侵入があり、二、三週間にして毛細血管の新生を伴う幼若な肉芽組織の形成があり、五週を経過すればガーゼを包む膜は厚みを増し、ことに膠原線維の出現、高度の血管新生、血管壁や組織球(大食細胞)に鉄反応陽性顆粒の出現がみられるといわれており、したがつて本件ガーゼが控訴人の本件手術の際遺留されたものであるとすれば、手術時に新鮮な創面に接着して置かれたものであるから、当然創面に癒着し、その癒着は七年という長い経過の間にある厚みをもつた強固な結合組織に発達し、ガーゼを取り出せば、これを包む組織を同時にひきちぎり、ガーゼに右組織の一部が付着する筈であることが認められる。そうすると、本件ガーゼは病理組織学検査の結果によれば、控訴人が本件手術の際遺留したガーゼではないとの疑いが強い。

この点に関し、原審鑑定人井上剛の鑑定の結果によれば、同鑑定人は、「結合組織細胞(大食細胞、線維芽細胞様の紡錘形の細胞)が古いフィブリンまたはガーゼ繊維に接して存在しているから、これらの細胞はフィブリン凝塊やガーゼなどの吸収困難な異物に対する反応として増殖したものであり、本件ガーゼ剔出時、その周囲に結合組織の反応が充分に起つていたものである。体内に停留した遺物に対して起る結合組織反応は、異物の質、量、停留部位などによつて大きく左右され個人差もかなり大きいから組織学検査の結果だけで異物の体内算定期間を数学的に論ずることは不可能である。本件ガーゼはツッペル(止血用)ガーゼであるが、ツッペルガーゼが被控訴人の体内に入り得る機会は控訴人の手術の際だけであり、また本件ガーゼは弾力繊維から成り常に緊張した状態にある黄靱帯の内側に停留していた関係上、絶えず圧迫されていた筈であり、化膿などの現象が加わらない場合、長期間に亘つて停留していても、格別に目立つ結合組織の増殖が起らずに済むこともありうる。したがつて本件ガーゼは七年間に亘つて停留していたものとみるのが妥当である。」と鑑定している。しかしながら、本件ガーゼが、その大きさ、或いは二つ折になつていたことから直ちにツッペルガーゼであるということはできず、ほかに本件ガーゼがツッペルガーゼであることを断定できる証拠はなく、また本件ガーゼが黄靱帯の内側に停留し常に圧迫を受けていた事実、或いは本件ガーゼが体内に七年間も停留しながら、なお本件ガーゼに結合組織が生じなかつた事由を認めるに足りる証拠はない。

また当審鑑定人羽場喬一の鑑定の結果によれば同鑑定人は「本件ガーゼの病理組織学的所見からすれば本件ガーゼが、二、三週間以上体内に滞留していたと認められる根拠はないが、その周囲組織、すなわち異物を包み込む被嚢の有無が検討されておらず、またガーゼ周囲の状況が全く不明であるから、本件ガーゼの病理学的検査のみから体内滞留期間を推定することは困難である。しかし本件ガーゼは臨床経過を参考として控訴人の本件手術の際に遺留された蓋然性が極めて高い。」と鑑定している。しかしながら、右鑑定の理由、同人の当審における証言によつても、本件ガーゼが七年間体内に停留しても本件ガーゼに結合組織が生じない事由について納得できる説明がえられない(当審証人羽場喬一の証言によれば、同人の鑑定において論拠とした事例「羽場鑑定人が術後子宮壁内に約五か月間遺留していた繊維を取出し、これを検査したところ、組織球と線維芽細胞の出現のみで膠原線維の増殖、鉄陽性反応が認められなかつた」の繊維は、生体反応が起らないように作られたシロッカ氏子宮頸管縫縮術用の繊維であることが認められるから、右事例によりガーゼの場合の生体反応を判断することは相当でない。)

以上の理由により本件ガーゼが控訴人の本件手術の際遺留された旨の鑑定人井上剛、羽場喬一の各鑑定の結果、及び原審証人井上剛、当審証人羽場喬一の各証言は採用できない。

2  次に、被控訴人は昭和四一年四月二六日都外科病院に入院し、本件手術創瘢痕部の小児拳大の腫張の切開手術を受け多量の排膿があつたから、若し本件ガーゼのために右の腫張、化膿が生じたものであるならば、右切開手術の際に本件ガーゼは発見されえたのではないかと考えられる。

3  また昭和四五年六月一五日八家病院の遠藤医師は被控訴人の瘻孔部分にシリコンチューブを挿入して瘻孔撮影をした際、ドレナーゼ・ガーゼを瘻孔部分に詰める処置をした。もつとも原審証人遠藤博の証言によれば、その際詰め込んだガーゼは幅一センチメートル、長さ一〇ないし二〇センチメートルというのであるが、その大きさについての証言は確実なものではなく、その後、被控訴人の体内から本件ガーゼ以外に取り出されたガーゼがないので、本件ガーゼは遠藤医師によつて詰められたガーゼである可能性が大である。

4  <証拠>、原審鑑定人高瀬武平の鑑定の結果によると、本件手術の際本件ガーゼが遺留されていなくても、本件手術の後遺症として前記認定(原判決引用)の腫張、痛み、化膿等の症状が発生することがありうることが認められる。

以上の事実に照らすと、本件ガーゼが控訴人の本件手術の際遺留されたガーゼであると認定することは困難である。

三そうすると、控訴人が本件手術の際本件ガーゼを被控訴人の体内の手術部に遺留したことを前提とする被控訴人の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却すべきである。

四なお被控訴人は、乙第一七ないし第二一号証の各二の提出は時機に後れた攻撃防禦方法として却下を求めるけれども、右証拠提出の経緯、立証趣旨にてらせば、故意又は重大な過失に因る時機に後れたものとは認められず、また右証拠の提出により本件訴訟の完結を遅延させるものとも認められないから、被控訴人の右申立は却下する。

五よつて控訴人の控訴に基づき右と異る原判決を取消し、被控訴人の本件附帯控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九六条を適用して主文のとおり判決する。

(山内茂克 三浦伊佐雄 松村恒)

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